「母校が焼けた日 U」が出版されました

20140801

 

 



 69年前の8月1日〜2日の夜間、B29が八王子の空を覆いました。母校は焼失。この大空襲を当時13歳、14歳だった私達の大先輩が2001年に「母校が焼けた日」としてまとめ、出版されました。そして今回「母校が焼けた日 U」が出版されました、副題は「昭和20年の叙事詩」です。「昭和20年の叙事詩」が新たに編まれたのは8月15日を知らない若者が増えている今を意識したからなのかもしれません。
 25ページには「・・・物凄い照明弾の音/一瞬あたりが真昼より明るくなった/敵機が見えたと思う間もなく爆弾・焼夷弾の嵐/地響きをたてて落ちてきた/あたりは火の海になった/突然 ギャー と女の人の声/私の二・三歩前にいた人の肩に焼夷弾が命中した・・・」とあります。同じ日、富山、長岡、水戸も八王子同様に空襲されました。空襲のあった8月1日は米国の陸軍航空軍の第38回創立記念日であり、創立の日「祝賀大爆撃」だったのだそうです。

 巻末には元朝日新聞編集委員の川村二郎氏が「歴史は一人一人がつくる」との文を寄せられています。「一人でも多くの人、特に若い人に読んでもらいたいと私は思っている。編集委員時代におつきあいをいただいた作家、白洲正子さんは、「日本人は、もっと日本の歴史を勉強した方がいいわよ」が口癖だった。白洲さんも、私と同じことを願っているにちがいない」とあります。
 「おわりに」で田中万代さんは「忘れたいけれど忘れられない体験です。戦争が始まれば、敵も味方も被害者にもなるし加害者にもなります。世界中どの町も村も戦場にならないよう、切に望んでいます」と訴えられました。しかし、未だ世界から戦火は絶えていません。

 69年前の大空襲で焼けたものの翌春には新しい芽を萌出したクスノキが母校正門右側に大きく枝を広げ後輩たちを見守っています。平和は与えられるものではなく勝ち取るものなのだと思いつつ、かつて母校が、八王子の街が焼けた8月1日に「母校が焼けた日 U」を紹介させていただきました。

 「母校が焼けた日 U」は東京都立南多摩高校(第四高等女学校)むらさき会 発行、編集人 柴田雅子さん 田中万代さんです。なお、前版の「母校が焼けた日 私の昭和20年」は、2001年5月に日本エディタースクール出版部から発行されています。
 また、「母校が焼けた日 U」の全文はインターネット・サイト「青春・白熱図書館」(郷土史・誌)で読むことができます。

 更に「ビジネス誌「財界」(8月26日発売号)に「母校が焼けた日 U」の「ずいひつ」掲載が予定されております。
 併せてご覧いただきたくお知らせいたします。

                     (S44年卒 井上務)