もう一つのアート ―意外なフランスの現実 ―

20100819

 

 

 

 

  昭和44年卒業の日定昭(ひだかさだあき)さんは、現在、作新学院大学教授、放送大学客員教授で前日仏経営学会会長です。さらに、国立工芸学院(CNAM)、フランス高等経営研究院(HEC)、エクス・マルセーユ第U大学客員教授を歴任。

 大学での担当科目は経営学ですが、研究領域はフランスの実業教育史です。

 そんな日高先生に「研究分野についてご紹介ください」とお願いしましたところ、「もう一つのアート ―意外なフランスの現実 ―」という原稿を頂きましたのでここにご紹介いたします。

 暑い毎日ですが学生時代に戻って少し勉強してみてください。

井上 務 (昭和44年卒)


もう一つのアート ―意外なフランスの現実 ―

日定昭 (昭和44年卒)

 

 ピカソやルソー、モディリヤーニと親交を結び、パリ画壇の寵児となった藤田嗣治をはじめ絵画、彫刻、文学、音楽などあらゆる分野の芸術家がフランスにあこがれフランスの地を踏んだ。フランス語で「芸術」は言うまでもなく「art−アール(英語の発音はアート)」、美術に限れば、beaux arts 、英語ではfine artsであるが直訳すれば、beautiful artsとでもなろうか。しかし、もう一つのアール(アート)がフランスを支配する。

 フランス啓蒙思想の集大成である『百科全書』はディドロに「art−アール」の項を書かせているが、これがもう一つの「アール」、「技術」を指す。それはアリストテレス以来不当に軽視され、いやしめられた技術すなわち工芸技術の復権をもたらすものである。そのような思想がフランス革命を準備し、フランス革命は工芸技術に関する学校を造る。その名前は、Le Conservatoire National des Arts et Metier(国立工芸学院)、200年以上を経た今日でもフランスでもっとも重要な学校の一つである。

 フランスの技術はいま世界をリードする。TGVと呼ばれるフランス新幹線、その最高時速は日本の新幹線を凌ぐ。エア・バスも英国と共同とはいえフランスの航空産業技術の粋を集める。フランスの発電の77%を占める原子力発電技術は世界最高水準である。フランスは、産業革命期に必要とされる技術者の養成をすでに12世紀には存在していた世界で最も古い大学の一つパリ大学に求めず、新たな教育機関(グランド・ゼコール―大学校)を創設した。

 まず1747年に土木学校を1783年に鉱山学校をパリに、そこで土木技術者、鉱山技術者を養成した。そして軍事技術者の養成を目的としてフランス革命の最中の1794年には理工科学校を創った。日本語に直すと何の変哲もないこれらの学校の名称はフランス人にとっては特別の想いを持って受け止められる。エッフェル塔を設計した(厳密には設計したわけではないが)とされるエッフェルもこの種の学校の一つ中央工芸学院の卒業生である。

 そしてそのような学校の卒業生が現在に至るまでに、フランス社会での支配的な地位を占めるようになった。昨年度9億円近くの給与を受け取ったとして話題になったカルロス・ゴーンは、1999年経営危機に陥った日産自動車に40歳代半ばでフランス・ルノー社から最高経営責任者(CEO)として送り込まれたが、彼は理工科学校とパリ鉱山学校を卒業した典型的な産業エリートである。今多くの産業経営者が技術者の学校(ecole d’ingenieurs)と呼ばれるこのような学校群から生まれている。フランス社会では彼らが多様な意味での特権を行使しているのである。

 

*入手可能な参考文献として、コンドルセ他編『フランス革命期の公教育』、ディドロ、ダランベール編『百科全書』、ともに岩波文庫からの邦訳があります。