「先輩に学ぶ」 平成22年3月22日実施 |
20120422 |
ネイティブアメリカン 〜ナバホの魅力と想い 講師:画家 福田 ゆき(昭和34年卒)
ネイティブアメリカンの白い美しい衣装を纏って、福田ゆきさんの講義はスタートした。40年近く前、染色修行のため渡米。そこで出合ったナバホ族に興味を持ち、居留地へ。電気・ガス・水道・電話・バスもない村で、先住民たちと生活を共にしながら、日本人で初めてナバホコミュニティカレッジを卒業した。 現在全米の居留地に500部族以上約200万人のアメリカ先住民が暮らしているが、水の出ない乾燥地帯が多く、農作物(特に野菜)は殆ど採れず、失業率も高い。しかもナバホ族の居留地からは大量のウランが発見されたため、その核廃棄物のたれ流しにより、甲状腺異常や癌など放射能汚染の被害者が続出している悲しい現実がある。 彼らの精神世界は、自然を敬い自分たちは自然と共にあるという宇宙的なものの考え方で、性格は穏やか、感謝や思いやりの念がとても強い。大地も神様から貰ったものなので、個人では持たずに共有財産としている。 頬骨が高く、黒目、毛髪は黒く直毛、蒙古斑があり、日本人との共通点も多く,DNAも同じ。 現在、福田さんはアメリカ先住民の絵を描きながら、日本の先住民アイヌ人とナバホ族との交流活動を続けている。 ネイティブアメリカンについて初めて聴く生徒たちは、熱心に先輩の話に耳を傾け、メモをとっている姿が印象的で、また福田さんのナバホに対する熱い想いや愛情がひしひしと伝わってくる貴重な体験の1時間だった。 (S32年卒 平 照子記)
悔いのない私の人生 ヒロインターナショナル会長 神藤 宏昭(昭和35年卒)
神藤さんは有機栽培バナナで会社を興した経営者。南多摩高校から東京水産大学へ、就職したカルピス食品では乳酸菌などの研究開発を手掛ける。また、海外の果汁のすばらしさに感動し、専門商社に転出。そして独立して自分の会社を創設する。 日本ではまだ農薬を使ったバナナが流通していた昭和末期、海外ではオーガニック・スーパーがあちこちで出店していた。この時期に無農薬バナナに着眼し、メキシコや中南米で無農薬栽培を指導して日本へ輸入することで、"有機"という時代を先取りする会社を興した。しかし平成に入るとバブル崩壊、中国での事業失敗などを経験したが、現在は順調な事業経営を維持しているという。 高校生がこの時代の話を実感できたかどうかは分からないが、企業経営というアウトラインは把握できたのではないか。言葉の一つ一つに、企業家としての重さを実感した。講義が1時間という短時間のために、神藤さんは生徒に伝えたいことを、"経歴書"、"バナナについてー作り方〜各データ" などの資料に盛り込んで、聴講する生徒全員に配布する心配りも感じられた。 看護・医療技術系の仕事 講師: 医療系大学職員 泉田 次男(昭和44年卒)
講師の泉田次雄さんは教科書出版の東京書籍を定年退職後、平成23年4月から看護系大学に再就職。大学生の就職難が社会問題となっている一方、深刻な医療現場の人手不足を背景に、医療系大学の高い就職率が際立っている。 医療現場では様々な変革が進行中だ。 医師中心の医療からチーム医療への移行。 医師・看護師・薬剤師等が、それぞれの専門性を生かし、協同で患者の治療に当たるシステムを作ることが重要になってきている。また「特定看護師」(診療できる看護師)制度の創設、カルテの電子化やITによる合理化も始まっている。 医療系大学で学ぶ目的は、専門知識を学び資格を取得して経済的に自立すること。卒業後は、医療チームの良きプレーヤー、リーダーとして活躍することが期待されている。大学を選択する際には、希望する大学の偏差値および実習病院と大学のロケーション関係を調べ、過去問を解いてみることが大事と生徒へのアドバイスがあった。 |
南高時代にやっておいて良かったこと、 講師:ムラウチ・ドットコム社長 村内 伸弘(昭和61年卒)
講師たちの中で最も若く、生徒たちとの年齢差も近い。そのためか会場には大勢の生徒が詰めかけ、歯切れの良い熱弁とパワーポイントを使ったわかりやすい講義に、会場内は熱気に包まれ大盛況だった。 いま、自分の将来について決まっている人、決まっていない人(、決められない人)も、自分がやりたいこと、やらねばならないことを1つ見つけて、その目的に向かって全力投球し、努力することが大切である。村内家は祖父が100年前に醤油店を創業し、戦後の高度成長時代とともに大きな(日本最大の)電気店となった。村内伸弘さんは20年前にオンラインストアを開業、時代の流れにも乗り、一生懸命に努力して現在に至っている。 村内伸弘さんはインターネットストアの社長。南高時代は野球部で活躍、仲間との時間を大切にし、夢に向かってベストを尽した野球一筋の毎日だった。何事も一生懸命に取り組んできたことが、すべて良い方向につながっていった。 いま振り返ると、何といってももっと勉強をしておけば良かったと思う。現在は英語、経営学、法律を勉強中である。高校時代は何をしても身につく素晴らしい時期。この瞬間を大事にして、勉強でもスポーツでも、何か1つの事と真剣に取り組んで、身に付ける努力をして欲しい。(何か1つ持ち、身を使って努力してもらいたい。) 意に反して選んだ私の道 〜獣医師、そして今 講師:獣医学博士 小林孝好(昭和38年卒
小林孝好さんは、子供の頃「ダムを造りたい」という建築家志望の夢を持ち、南高で生物部に入ったことで大自然の動物に興味を持ち、夢はアフリカ、アマゾンの探訪に変わった。日本獣医畜産大学(現日本獣医生命科学大学)へ進学し、そこで担当教授の影響を受け、意に反して家畜病理学を学ぶことで獣医学博士号を取得した。一般的に獣医というとペットの医者を想像するが、彼の場合、ドイツ系大手製薬会社に就職したことで、動物用新薬の研究に取り組むことになる。人間と違って動物にはいろいろな種類が存在する。彼が携わった新薬の研究とは、開発から薬の効果や副作用の確認実験まで10〜17年という年月を掛け、ほんの一握りの薬品だけが世に出るという気の遠くなるような仕事だ。その後、アメリカ系医薬品会社に転職し、定年後は非臨床試験研究機関の顧問を続けている。 職業は自ら選択するというより、その時々の人との出会いが人生のターニングポイントになり、自分の進路も少しづつ変わっていった。それでも学生時代から社会人を通じて「何事にも熱中できたこと」に、今の自分があるという。現在の唯一の心の拠りどころは、自ら窯を使って焼き上げる趣味の陶芸である。 異なる文化に触れるということ〜社会・文化の日仏文化 講師:作新大学教授 日 定昭(昭和44年卒) 現役の作新大学教授である日定昭さんは、パステルカラーの洋服の着こなしで、どこか楽しくなる雰囲気で現れた。講義内容は自らの研究の話ではなく、フランスに滞在した時に遭遇し、心に残った幾つかの事例を、日本文化との違いと比較しながら紹介した。
フランスではヴィトンのバッグは年配の人が持つ物で、若者は持たない。それは持っていると金持ちと間違われて誘拐されるから。日本では高額な大学の学費も、フランスでは原則無料である。フランスの学生は自己表現や判断力を身に付けるために勉強に励んでいるが、化粧はしないし、ヴィトンのバッグも持たないことなど…。原発事故の折にはいち早くフランスの原子力関連会社アレバ社の人が来日して、手を差し伸べてくれたこと、技術的には優れているフランス車のことなどを語った。そして一生懸命に働いて2ヶ月もバカンスが取れるフランスの生活習慣がうらやましくさえ思えた。 文化的にも対極にあると思われる日本とフランス。日さんはフランスの話を通して、生徒たちはもっと外国に好奇心を持って、異文化に触れて欲しいと熱望していた。 執筆及び撮影協力者: 平照子・浅野常子・五十嵐満里子・中田君代・斉藤美代子・新垣富夫・山口久美子・井上務 (敬称略) |
終了後の記念撮影 |
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